ニセコで、ウオッチング フィールドツアー
標高400mの自然公園


ニセコアンヌプリ頂上近くから見た、ミルキーハウス

全部の植物の名を知りたい

花の名前、木の名前
  ニセコに住んで、はや30年近く、ニセコアンヌプリを、毎日見上げるような山麓で、ペンションを営業しています。 しかし、毎日のくらしは、毎日の食事の支度に追われて、目の回る日々。 話や会合、お客さんのチェックイン・送迎と、仕事自体は、街場の仕事場と大差ありません。
 お客様には、「カントリーライフを味わってください」、と謳うものの、実生活は、時間に追われて、あっと言う間に1年が過ぎ去っていきます。
 ただ、北海道生活で得た、自分の感動を、お客さんに伝えようと、マイクロバスで、早朝の牧場や、夜の山奥の露天風呂にいったり、体験ツアーを毎日行っています。
この辺は、ご存じ豪雪地帯。10月中旬に初雪、根雪は、11月半ばに、半年後、やっと5月半ばに雪が解けて、10月上旬には、紅葉のピークを迎える。 といったせわしない無雪期の気候の移り変わり。 ひどい年は、夏が、2週間で終わってしまうっていう年もあるんです。
 ここにに長年、住んでいたら、周りの自然に、発見とか、関心が深くなるのも当然で、テレビドラマの役者さんをを覚えるように、季節を追って、野山の木や、草が自然と頭に入ってきます。

 初めは、植物図鑑と首っ引きで、すべてが、自分のなかで、あたかも新種発見の連続。

 カメラに撮るために、「野の花って、なんで こんなに小さいの?」って、道に寝ころんだりして撮影、ビックリしたり、花のない植物の、名前がわからず、長い間、歯がゆい思いをしたりしました。
 この辺は、花で、200種類、木で20種類 とか言われています。そのガイドは、とても荷が重いですが、その植物を生活に取り入れて、ガーデニング、館内や食卓に花を飾ったり、食事の彩りに、お皿の料理に、花や葉っぱを、飾りつけたりしています。

春一番、喜びを伝える花

 春の初めは、4月末の、ふきのとう、ヤチブキ、福寿草から始まって、10月紅葉した、木の葉を集めてくるまで、、外にあっても風景のなかで、視線が届かない小さな花も、室内に飾ったり、お皿のなかで、あしらえば、とたんにスポットライトを浴びて、旬の季節感が、でてきます。
 以前、オーストラリア人のコックが いるとき、「食事の皿のなかに、花や、葉っぱをあしらうのは、初めての事で、ちょっと抵抗があったけど、やってみれば Nice な体験だった。」とか言っていました。
 やっぱり日本人は、自然との共存感覚が、自然な感覚かなって思いました。

 紫式部や、清少納言の、「イト、オカシ」 とか、利休の「茶の湯」のワールド的意識が自分に宿ってるのを感じます。
 色と素材、季節感とか考えながら、「まずましい」 とか、「あすましくない」とか思いながら、花や葉っぱの、取り合わせをアレン
ジしていきます。

食育

春の山菜や、秋のきのこ類は、自然と人間の関わり合いを知るよい機会。捕りたての山菜で、ほろ苦い春の味覚を知ったりできます。野草の天ぷらには、目から鱗が落ちるはず。

図鑑づくり

 初めの頃、ガイドブック片手に、ウオッチング。梅沢さんのガイドブックで、花の色別検索。見あたらない植物は、すべて新種発見!という事になっていました。その後、芽立ちから、育成中、花の開花後、種をつける時期と、順次姿を変えていくことを知りました。 
 それらを写真で鑑定するには、インターネットを利用するのが、一番。インターネットは、花の検索にぴったりです。 それに、コピー&ペーストで、自分だけに使う、『MY図鑑』づくりに最適。 北海道以外の各地の情報も手に入ります。
 軽井沢で、ベランダのバードテーブルに、インターネットに接続したライブカメラをセットして、1日中、えさ台に、やってくる野鳥を撮影するサイトを見つけました。 ベストショットをサーチして、いい画像だけを集めた、いろんな野鳥の写真満載で、IT技術の工夫に感心しました。

自然に、人間らしさを求めて、

 日本野鳥の会の 札幌支部の方を中心とした、自然観察の会を もう35回も23年にわたって、続けています。 ニセコの山域をトレッキングして、自然観察、年2回の開催になりますが、参加するお客さんと、ツアーの受け入れを担当する、ニセコアンヌプリにある、ポテト共和国のペンションとは、毎回、とてもいい仲間です。 自然のなかで、生活する事に喜びを感じる人が広がっていくことは、私たちにとっても嬉しい事です。

 バードウオッチングしかり、植物のウオッチングしかり、つぶさに見て、識る事で、厳しい環境のなかで生き抜くしたたかさを感じます。

 今の現代文明とは、、自然と人間との対決の上に築かれた産業文明です。 自然への思いは、現代人の一つの感覚で、自然な要求です。 この文明のなかで、もがく人々は、小さい、生き物、静かな生き物に惹かれて、心のよりどころを求めていくのかもしれません。 同じ生き物としての、共存意識。