僕のホルスタイン物語
 
酪農と山登りとは互いに無縁のもですが、登山者というのは、心情的に牧場に対して、親近感を持っているのではないでしょうか?
 戦前に、学生山岳部のヒーローの1人、大島 亮吉の本の中にも秩父の牧場だったか、牛飼いの手伝いをしながら山で過ごした日が、新鮮な喜びを込められて書かれています。
 それはおそらく、牧場という言葉の、ロマンチックな色合いとともに、動物相手の仕事である酪農から、僕らが一定の職業的な価値以上のものを感じるからじゃないかな、と思うんです。
 僕自身の、わずかな牧場経験からですが、正直言って、今でも牛なんか好きになれません。
 とりわけ、あの芸術的だとさえいえる、馬なんかと比べれば、まさに雲泥の差です。  
 でも、あの頭の悪くって、どうにもならない牛たち、血と粘液と糞にまみれた、愚純な動物ですが、彼女たちが人間に提供してくれる、牛乳を飲むたびに、敬虔な気持ちになります。
 誰が、牛乳の白い液体が、緑の草と、ただの水から作られてるんだ、と想像できるでしょうか。
 不思議な自然の摂理に、敬意の念を感じます。
          あなたは、味わったことが、ありますか?
 ほんのり甘く、風味がさえわたり、口に含む度に、コクが広がり、喉元にマイルドに残る、あの搾り立てのミルクの味を。


 牧場に、一頭の牛がいました。名前は「リカ」。
フルネームは、ヘンドリカ・ホープ・フラッシーといいます。
 このリカの出産を追って僕が知った、彼女達の、知られざる暮らしについて書いていこうと思います。
 酪農とは牛の世話女房、彼女らとの相互扶助により、ミルクを頂戴する訳です。
       まあ、1つの、人間と自然との、関わり合いのストーリーです。



=5月=

 リカとの最初の出会いは5月でした。今では何とも思いはしませんが、牛なんか、じっくり見たことのない僕にとって、牛舎に入ってみたのは、初めてで、衝撃の出会いでした。
 まず、ムッとした糞の臭いが鼻を突き、そしてなにしろ、牝の牛ばかりで、それも50頭も、通路に尻を向けて並び…。
 だから両側に25ヶずつ、人間そっくりの割れ目がモロ目の位置に勢揃いしているわけです。これが人間だったら一大事だ、と胸を撫で下ろしました。
 リカは、一番端に居ました。まるで、馬のように長い顔をして、耳は菱形で、異様に大きいんです。牛の顔なんか初めてじっくり見たんですが、とりわけ、印象に残ったのを覚えています。
 その時彼女は5歳でした。牛は7〜8歳を超すと、そろそろ現役の搾乳牛を、クビになって、廃牛ですから、まあ、女盛り といったもんでしょう。
 彼女は、その年の2月に出産しました。でも子供は雄だったので、いつも通り手荒く扱われ、一週間ほど牧場に置かれ後、馬喰(バクロウ)に売られていきました。
 その子牛はもう、肉にされたか、又は飼育されたのち、肉にされるかのどちらかでしょう。
 まったく、酪農においては、雄か雌かというのは一大事。 それこそ「石ころ」か「ダイヤ」か、程の違いなんですから。
 5月末になると、牧場では、そろそろ放牧が始まります。
 北海道の、ここ道南では、4月中旬から、遅くても下旬にかけて、雪解けが訪れます。
 5月中旬にもなれば、農家は畑仕事に余念がなく、あたりの畑は黒ぐろとなり、景観の中に、白樺の白さが、ひときは映えます。
 時同じくして、牧草地でも、牧草がもう、膝ぐらいに育っています。春の、逞しい生命力が溢れる時期、一雨ごとに緑が濃くなるのが、この頃です。
 牛達も冬の間、放してあった、パドックから、牧草地の草の息吹が解るのか、気ぜわしい様子です。
 放牧の、初日は大変です。50頭の牛達が地響きたて、放牧地に飛んでゆくのは壮観そのもの。いつも控えめな彼女達から、野性を感じる、、年に一度のスペクタクルです。
 最初は、食い過ぎないように15分ほど。そのうちに、徐々に時間を伸ばし、朝の8時から午前中くらいまで、放牧時間を伸ばしていきます。
 青草を食べると、彼女達の糞は柔らかくなって、最初は下痢気味になります。

=6月=

 ある朝、いつものように搾乳を終え、糞で汚れれた、牛の尻と尻尾を、水で洗って放牧しようとすると、リカの背中の上に後から来た牛が次々に乗っかかっていくんです。
 ちょうど犬の後尾みたいに。
 何も、レズじゃないんです。「リカが発情した!この前の受精は付いてなかったんだ!!」 
 雌牛は、普通21日周期で発情します。そうなると、程度こそ違え、気が粗くなり、盛りの付いた鳴き方で、騒々しくわめきたてます。
 そして他の牛に乗っかかれたり、自分から乗っていたりします。
 性器を開いてみると、粘液で潤い充血して腫れぼったい感じです。昼前に牛舎に戻ったリカを見てやると、尻尾の付け根が、乗り擦れて、はげあがっているし、性器からは粘液が垂れ下がっている。 「間違いなし!!」
 連絡しておいた、獣医さんもやって来ました。ちょうど21日前に発情し、人工授精を済ませたのですが、付いてなかったのです。
 獣医さんは、リカの後ろに立つと、薄いビニール袋をはめた手を肛門に突っ込み、直腸に溜まった、糞を掻き出し始めます。
 僕は、リカの横に立ち、尻尾をつかんで引っ張り、体を押しつけて動かないようにします。何しろ彼女は500sはあるんですから。足なんか踏まれたら大変です。
 次に獣医さんは、右手を肩まで肛門につっこみます。こうして直腸を隔てて、子宮の状態を、触感でさぐるんです。 卵管から卵が出て来ているか? 付着の状態は左右、どっちの卵巣からか…、など。
 リカは、怪訝な顔をして、時折、振り向く位です。やはり発情でした。状態も良好とか。
 さて、これからが人工授精です。
 まず、前もって指定してあった精液を、冷凍ケースから取り出します。その雄牛はバインデール・テルスター・エース。格調高い名前です。
 ホルスタインは、一頭づつ、こういった正式なな名前で、登録されています。人間なみに、家系なんかもしっかりしています。
 一番先に来るのが牧場の冠名で、この場合は「バインデール牧場の…」ということになります。
 どの牛にどの種牛をつけるかは、雄雌のの体格、プロポーション、乳質、乳量とかを見合わせて決められます。
 やはり人気とか、流行というものもあるようで、今の(1980年頃)流行はローマンデール・カウント・クリスタンとか、エルクカー・ローヤル・ホープです。
 ともに品位があってスケールがあるとのこと。 ほとんどが、カナダやアメリカの雄牛です。
このクラスでは、1〜2ccの精液が2万円ほどします。人間に移し換えたら、おもしろいもんです。 
 獣医さんは、もう一度、右手を肛門に入れ、左手で40p位のステンレス管を膣に挿入してゆきます。
 左手で、感触を探ったり、子宮のひだに当たった管を導いたりするのです。そして位置が決まったら、左指で細い棒を押して、射精は終わりです。秒単位で注射するみたいにして、アメリカの牛とのリカの交尾は終了するのです。ドラマも何もありません。
リカは、何も無かったかのように、干し草を食べています。まあこれで21日後に発情が無かったら、受精したということなのです。

=7月=
 先月末から、雨が続いています。北海道には梅雨が無いはずですが、近頃は異常気象気味です。
 ただジットリとしないのが、いいところ。なにしろこっちは、ゴキブリなんかもいません。よってゴキブリホイホイなんかも売っていません。
 農業は、天候仕事。 雨の日は休みです。
 どうも雨音を聴くと、ほほえんでしまいます。このテンポがたまりませんね。北の家はトタン屋根。2階にいると、雨の優しいノックが聴こえる、、、
 7月は牧草を刈り、これを乾燥させて、干し草の梱包を作る、忙しい時期です。
 朝の休みに、まだ冷たい、採れたての苺を頬張ります。時のたつのも忘れるひととき。リカもあれから発情はありません。

=8月=

 毎朝、濃い霧がかかります。そんな日は決まって暑い1日になります。
 搾乳は1日2回行います。朝5時と半日おいて、夕方5時に、リカは優秀な牛で、1日に、20数sの牛乳を出します。
 想像出来ますか?一升瓶13〜14本分です。乳脱脂分3.7%。これはホルスタイン平均値なみです。
 これらは、ステンレスの大型の冷蔵タンクに入れられ、4℃で冷蔵されます。1日おきに乳業会社が、ローリー車で、集乳しに来ます。
 暑い日に4℃に冷えた搾りたてミルクなんて、最高です。牧場の人だけが、飲めるんですよ。
 8月末に、また伸びてきた牧草を刈って、乾草を作ります。7月にと比べると、量は1/3ぐらい。茎は少なく、葉っぱが多いので、柔らかいのが特徴です。
 牛の病気が集中するのが冬場の風邪と、この夏場です。雪や雨の中でもタフなホルスタインですが、この夏の暑さ、には極めて弱いんです。
 もともと、ホルスタインの出生国はオランダ。その後、カナダ、アメリカで改良された、というふうな生い立ち、だからでしょうか。
 リカは、陽差しが強くなり始めると、真っ先に戻ってきて、牛舎の入口でたむろしています。
 すさまじい、ハエと、血を吸うアブの集中攻撃。この時期、牛舎での彼女らは、唸りながら寝ころんでばかりで、全頭、夏バテ気味です。
=9月=

 お盆過ぎからは、朝夕も涼しくなり、秋に、季節はシフトします。
 9月中旬には初雪、初氷の便りも、聞かれます。中旬を過ぎると、夜にはもう、ストーブもたかれます。まぶしかった空も、吸い込まれるように高くなります。
 リカもそろそろ妊娠3ヶ月。子宮の中の胎児は、ちょうど握りこぶし位の大きさです。この頃になると、直腸からの触診でも胎児がわかるので、獣医さんに妊娠鑑定をしてもらいます。
 やはり妊娠です。予定は3月26日とのこと。牛は人より1日短く、9ヶ月と10日で出産です。
 9月末になると、放牧地に草もなくなり、気をつけていないと牛たちに牧柵を破られて、畑の作物を食い荒らされます。この首謀者は大抵、リカのニ女「ウマ」です。
 リカを凌ぐ長い顔をした、どん欲なウマは、若牛で身も軽く、柵なんか、先頭をきって飛び越してしまいます。
 逃げ出した群れを、放牧地に戻すのも、半日仕事、牛との大運動会です。デントコーン(家畜用のトウモロコシ)畑は食い踏み荒らされ、メチャクチャ。9月中旬から10月にかけて、このデントコーンは刈り込みされ、サイロに詰め込まれます。
=10月=

 紅葉が山から滑り降りてきました。
 コーン・サイレージ(牛の主食になる発酵コーン)も、サイロに詰め込んだ分だけでは足りないので、野積みのトレンチサイロを作っていきます。いわばトウモロコシの漬け物作りです。2〜3日置くと、黄色く発酵して甘酸っぱい独特の香りがしてきます。牧場では、乾草づくりに次ぐ、大きな仕事です。
 秋の収穫は降霜に追われて、美しい毎日も、農家にとっては、ただ気忙しげに過ぎてゆきます。
 彼女らは恐ろしい食欲を示して、青刈りのデントコーンをガツガツ食べて、がぜん元気づいてきます。
でも、彼女らの性格を考えてみると、まあ、牛によって様々ですが、とてもデリケートな神経の持ち主なんです。
 普通は、近寄っても、そ知らぬ顔をしていますが、いったんあやしいと、感づけば、「何をされるんだろう…」という感じで、横目でジッーと睨んでいます。
 普段でも、わずかな、環境の変化が、微妙に乳量に影響します。
 大体が臆病なくせに、好奇心は人、イヤ、牛一倍あります。
 ある牧場でヌード撮影をしたところ、裸の女の人が牛に囲まれて、泣き出したという話があります。
 生後6ヶ月ぐらいに、伸びてきた角を折って、伸びないようにする、「除角」を、されてしまうせいか、外敵に対しての闘争本能は、あの短い後足を蹴り上げるくらいのもので、おとなしいものです。 殴られたり、蹴られても、決して向かってなんか来ない。
 ただ、たまに、あの大きな体を悲しみ一杯にして、恐ろしさのあまり暴れ狂う。こうなると、手がつけられません。
 でもリカは、とりわけ陽気で、愛くるしい奴。 
 顔を撫でてやっても嫌がることはなく、もっと撫でてと、いわんばかりに首を前に突き出します。彼女らは頬から喉元、頭、角の生え根の裏側など、爪をたてて撫でてやると、喜んでフーフー唸りながら首を反らせます。
 サイロ詰めが終わると、敷きワラ集めです。収穫の終わった田んぼに行き、稲葉の梱包を作るのです。これで一年の作業はだいたい終了です。この牧場で、大体30町(30万u)の広さになるんですが、この広さが恐ろしく思えてくるのも、ワンシーズン働いてみての実感です。

=11月=

 どの畑も、収穫は終わり、もとの、土の姿に戻ります。
 畑と牧場と山々が織りなす風景は、季節を追って変化してゆきます。雪が降るまでは、溜まった堆肥を畑に撒いていきます。
 彼女達は、平均1時間に1回は糞をだします。小便なんか、まるで滝みたいです。 もうちょっと、彼女らに羞恥心とか、慎みというものがあれば、僕はもっと好きになるのになぁ〜。と思うんですヨ。 でも動物というのはやっぱり大型の方がおもしろいですね。お互いに対決できて。
 
 注意:彼女らは括約筋が弱いのか咳をする度、バズーカ砲みたいに、糞が校門から飛び出してきます。運の悪い人は…。不思議なピーチパイが顔に直撃です。
      −牛のウシロ、には気をつけて。− 



=12月=
 近頃では、根雪が遅くなりました。
 ニセコでは最悪でも12月上旬には、雪で覆われますが、都会の方は、1月に入ってから、ってこともあります。
 でも地面は凍って、カチコチです。牛たちは、余程の吹雪でない限りは、午前中は、外に出っぱなしです。風上に頭を向けて、うつむくきながらじっとしています。
 リカの胎児は6ヶ月を迎えます。子供を育てるエネルギーに取られて、乳量は目立って減り気味です。
 彼女らは出産すると、ミルクを出し始め、以降乳量は、だんだんと降下していきます。
 牧場では普通、一年につき、一頭の割合で、子供を産ませてゆきます。
 まず出産後2ヶ月ほどの静養期間をおき、体の調子が整うと、また種付け(人工授精)をします。そして9ヶ月後には出産。
 この繁殖管理、をうまくしないと、乳量は増やせませんし、1頭の牛から生まれる仔牛も少なくなってきます。
 考えてみると、生後5ヶ月目に最初の種付けをして、2歳ちょっとで初産以降、1年に1頭の割合で生涯7〜8頭の牛を産み、その間にミルクを搾られていく。休む暇もない、悲しい家畜です。
=1月=

 冬の間、朝は5時半からです。星空の下、牛舎に入ってみると、いつもどおり寝転がったり、立ったりしたりして、モグモグと反芻(はんすう)しています。
 まずは、餌やりです。
 彼女らの主食は、乾草とコーン・サイレージ(デントコーンのサイロ漬け)です。1頭あたり、1日のメニューと量は次の通り……。 
 コーンサイレンジ6s、乾草7s、ビール・ウィスキーのカス1s、麦1s弱、ビートパルプ(てんさいから砂糖を取ったカス)を水で溶いたもの2s、塩10g,、カルシウム少々。
 これを1日2回に分けて、朝と夕方に給与します。
 また、夏場の牧草がある時期には、生の青草をたべるので、給与量は、この半分ぐらいになります。
 酪農とは、休みの日はありません。日曜も正月も。生き物の世話とは、まったく大変なものです。
=2月=

 外はすべて凍っています。サイロの中も凍りつき、ツルハシで砕いては、コーン・サイレージを降ろします。
 しかし牛舎では、15℃くらいです。暖房はなくとも、50数頭の牛たちの体温で暖かくなるんです。 牛の体温は、人よりちょっと高めの38.5℃です。
 1月末から、リカの乳が出なくなりました。大きかった乳房も、縮んでシワシワです。出産2ヶ月前の、乾乳期に入ったのです。
 これは、子供が順調に育っていることを示します。でも、太りすぎると難産をするので、高カロリーの物は避けてサイレージと乾草が中心です。
 しかし、食い意地のはった彼女は、前足を使って、隣の牛の餌をつまみ食いをしています。普段は、お互いに無関心を装ってる、隣どうしの彼女らも、食事の時や、 外に出してもらう時などは、我先にと、”ブーブー”と首を振ったり、前足を踏みならして勝手なものです。
 牛は“モー”とは鳴きません。“ブーブー”言います。ちなみに、仔牛は“メーメー”と。
=3月=

 確かに冬ではない、何かが始まっています。身を切るような風はなく、長靴のつま先が痛くなるような、寒さもありません。青空が広がる日も、目立って増えてきました。
 リカのお腹は、目立って膨らんできました。後ろから眺めると、胴体は、まん丸です。陰部の汚れが、先月から目立ってきました。寒天状の粘液が出てきます。
 中旬から、急に、乳房が大きく張ってきました。4個の乳頭が飛び出してくるのがわかります。
 苦しいのか、”ハーハー”いって、寝ころんでいることが、多くなってきました。時々、”ブーブー”と唸っています。陰部が腫れて、大きくなってきました。
 出産予定は3月26日。
 2歳の時の初産が♂。次の♀、♂に続いて、リカの4回目の出産です。2女のウマの正式な名前はエバ−グリーン・ホープ・デポジター、リカの横につながれているのですが、いつも餌の取り合いで、ケンカばかりしています。
 仔牛は生まれても、すぐ、親牛から離して育てるので、親子の愛情もなく、実はウマが、リカの子供だいうことも知らないようです。
 普通の牛は1頭、50万前後ですが、高能力牛や立派な血統の牛になってくると、100万、200万円はザラで、輸入牛なんかになってくると、千万単位のヤツもいます。種付けのための雄牛で、最高1億円。(1980年、当時)
 こんな高額の牛の場合、産室用に、独房が用意されているんですが、ここで出産した場合は、親子ともに一つの独房に置かれます。
 仔牛は生後すぐに、5〜10分ぐらいでヨチヨチ歩きを始め、母牛は羊水でまみれた仔牛を,1時間から2時間もかけて、ベロベロ舐めて乾かします。
 仔牛は歩き始めると、本能的に母牛の乳房を探りあて、グィグィ突きあげながら、乳首に、しゃぶりつきます。
 こんな親子を引き離すときは、大変な騒ぎになります。1週間ほど、お互いに”ブーブー”、”メーメー”呼びあっています。、母牛を檻から出そうものなら、仔牛の方めがけて、走って行きます。母性愛とは子供の面倒をみたり、求められたりしながら、育っていくようです。
 ウマは、先月、子供を産みました。リカの初孫は♂で、不幸にもすぐ売られてしまいました。オスの売値は、相場もので変動がありますが、生まれたてで、5〜6万くらいです。
 リカの出産予定まで、1週間になりました。牧場では、月に2〜3頭の、牛のお産がありますが、リカは、優秀な牛なので、みんな、子供は雌であるように、安産であるように、と祈っています。
 24日。乳頭がピンピンに突き立ってきました。仔牛用の独房を用意します。用心のために、リカを午前中、外には出はだしません。事故が恐ろしいからです。 ほかの牛よりも、多めに敷きワラを入れてやります。
 25日。 尻尾の付け根の骨盤が、ガグンと落ちてきたようです。胎児が出産し易くなります。自然の摂理です。
 「オイ、がんばれよ!」と声をかけても、素知らぬ顔でモグモグと反芻しています。寝床と通路の間の尿溝には、仔牛が出てきた時の転落防止のために、木の渡しが架けられました。
 こうなれば24時間監視体制です。夜中も2,3時間おきに見回りします。出産前後の牛は、一層デリケートになっているので、刺激しないように、しなければなりません。
 26日。朝、牛舎に行くと、久しぶりの雪が積もっています。もう、名残り雪です。今日は、午前中から雪、午後からはすごい風でした。
長い冬で、堆肥場は満タンです。糞の山を崩さないと、バン・クリーナー(糞出しコンベアー)が動きません。昼からは、この糞の山を崩します。表面はしばれていますが、中は長靴を通しても温かさが伝わってきます。湯気がモウモウとあがっています。
 強風の中で、投げた糞が吹き戻ってきて、顔にベチャッとかかったりして、閉口してしまいました。
 久しぶりに、冬山の感覚が蘇って、風にもまれながらも糞を放り投げ続けました。時々、見に行くリカには、まだ変化はありません。長い顔を、ふるって、ため息をついてばかりです。
 夜。尻尾をバタバタし、立ったり、寝ころんだりしています。あまり刺激をしないように、遠くから覗いては、みんなに報告します。
 27日 深夜3時頃。2回目の見回りにきました。何頭かの牛は、朝と間違えてのろのろと立ち上がります。リカの後ろの、渡し台と通路が、ズクズクに濡れています。
 ゆっくりとリカの後ろに近づくと、赤く腫れ上がった割れ目の間から、シワクチャにしぼんだ袋が、垂れ下がっています。
 第二次破水です。羊水の袋が破れたんです。しかし、まだ慌てることはありません。次に足が出るまで、20〜30分はあるはずです。みんなを呼びに行きました。本来は自然分娩ですが、母牛が弱ってしまうので、足が出たら引っ張り、介添えをしなくてはなりません。
 リカは寝たまま、腹で息をしています。牛の出産は、最後のリキミ迄は静かなものです。両脇の牛も、牛舎のどの牛も、知らん顔です。
 そうです。たとえ横の牛が、もがこうと、死のうと、まったくもって知らんぷりです。振り向きもしません。
 息が次第に深くなってきました。リカは唸っています。でも、3回もの出産経験があるのですから、大丈夫でしょう。
 普通は、まだ体が十分ともなわない2歳時の初産が、一番、難産するものです。
足さきが、2本出てきました。
 なれた人なら、足を見て、雄か雌かの判断ができます。太ければ、雄。細く、くびれていれば雌。親方は「雌だな。」と、呟きました。
 みんなの顔が輝きます。前足に続き、鼻が出てきました。正常な分娩です。普通、うつ伏せの状態で胎児は出てくるんですが、時には仰向け。また、逆児(さかご)の場合があり、難産の原因になります。
 親方は手を消毒し、膣を押し広げ、足に細い鎖を巻き付けます。羊水でツルツル滑ります。一本の鎖に2人づつ、リカのりきみに合わせて片方ずつ引っ張ります。
 リカは舌を出して、喘いでいます。体中で喘いでいます。親方がまた手を入れて、膣を押し広げ、りきみごとに頭が顔をだし、より一層膣口を押し広げます。その時、スポンと全身真っ黒な胎児が、あっという間に飛び出してきました。
 足を持っていた4人は、将棋倒しです。
 生まれたての仔牛をワラの上に乗せ、鼻の周りをまず拭いてやります。  
 ”メェーメェー”と、弱々しい鳴き声をあげるのをよそに、1人が足を広げ性器を見ます。「ワレメがあるぞ!雌だ!」みんな笑顔です。ワラでヌルヌル体を拭いてやり、へその緒を広げ、ヨーチンを流し込み木綿糸で縛ります。
 その時。「もう、1匹だ!」と誰かが怒鳴ります。
 双子です。急いで長女は横によけられ、もう一度引っ張り出します。今度は簡単に出てきました。親方が仔牛の後ろ足を掴み上げ、もう1人が、胸をペシャペシャと引っ叩きます。”グェーグェー”と、鳴き声を始めました。
 なんと。その子も雌でした。みんな大喜びです。”フーフー”言ってるリカの口に、ビールを瓶ごと突っ込み飲ませます。鎮痛剤です。
 そして、味噌を湯で溶き、バケツ一杯の、みそ汁を作り与えます。2〜3分もしないうちにカラになり、もう一杯追加です。これ、水分と塩分の補給のため。
 「リカ。よくやった。雌2頭の双子だものな…」双子でも♂と♀の場合は、フリ−マ−チンといって、繁殖能力が生まれつき、欠除しているので、売られてしまうんです。
思えば、あれだけ腹が膨らんでいたハズです。2匹の仔牛は、毛布にくるまれワラのいっぱい入った独房へと、運ばれて行きました。
産後すぐに後産(あとざん)、分娩後子宮に残った胎盤などの贓物、もでてきてリカの経過は順調です。
=4月=

双子が生まれ、1週間が経ちました。手を差し伸べると、哺乳瓶と間違えてしゃぶりついてきます。リカの乳房ははち切れんばかりに膨らんで、張りきっています。
最初は双子の飲む分だけ搾り、張りきった乳房のしこりを揉みほぐしながら、搾乳量を増やしていきます。
普通、 搾乳したミルクは、ミルカー(搾乳機)から、パイプラインを通ってタンクに入っていきますが、分娩7日間位までのミルクは、別に搾られます。
この出産直後に搾れるミルクは、初乳といって、血の混ざったような黄色い色をしています。これは仔牛が育つのに必要な養分や、免疫成分が含まれていて出荷されず、子牛に与えられます。
農家では、生後2〜3日の初乳を湯煎にかけます。するとミルクは凝固して、まるでフワフワの豆腐のようです。これに醤油をかけて食べますが、酪農家だけの珍味です。牛乳豆腐と呼ばれています。
リカはこの頃では、1日に30sを超すミルクを出し、腰回りもすんなり、乳房も大きく垂れ下がり、これぞ乳牛用!といった、理想的なスタイルになってきました。
無事分娩を果たしたその長い顔も、爽やかそうな感じです。
そろそろ、伸びた冬毛の散髪でもしてみようかと思います。バリカンで刈り上げたリカの顔は、また一段と長く、菱形の耳が異様な感じに、なることでしょう。
もう雪解けです。リカも6歳の春を迎え、また種付け(人工授精)の時期が訪れます。




牧草地で、のんびり待っている牛達から想像する、平和で安息なイメージとは裏腹に、彼女達には決して安らかな日々は訪れないのです。
親方に、搾り取れるだけミルクを搾りとられ、その度に妊娠、出産を繰り返しながらも、この牧場で最後の息を引きとることもありません。
彼女達がミルクを出せなくなった、その時。寿命をまっとうすることもなく、屠殺場へと引かれて行くのです。
セメントで囲まれた、監獄のような牛舎。
首はつながれて、自由に動くことも出来ない。
もし、私がお前なら。
天と地がひっくり返るほど嘆くであろうに、、、
お前はなんと、優しい目をしているんだろう

逆に、慰めてくれる様なその目。