ポテト共和国の、公式パンフレットポテトプレスは、
1985〜1994まで、10回発行されて、
毎年、イベント情報や、施設の紹介をしていました。
その、中に書いていた、私のエッセイ
ペンションで、青春していたような頃

1985
   ニセコの四季折々は、種イモまきから収穫貯蔵へと、イモの風物詩を追っていきます。
 先代の開墾者が愛しみ、情熱を込めて育んだジャガイモ・・・
 ニセコアンヌプリ山の丘から丘へと続くイモ畑の緑は、リズミカルで感動すら覚えるほどです。何本もの几帳面な緑の筋には作る人々のイモへの厚い愛情がにじみ、愛しいものへの思いが込められています。
 イモは、ニセコの風土をほほえましく伝えてくれ、ポテトはペンションの素朴でアットホームなもてなしをユーモラスにイメージしてくれます。
ポテト共和国は、ニセコ・フリークのたまり場です。夢とおなかをいっぱいにしてくれ、自然とスポーツと手作りを愛する人々の集まる場所です。
 私達はたちは、愛する大自然にポテトのイメージを託して、ポテト共和国の基本理念として、ポテト憲章を掲げています。
      1、我々は、ポテトを愛すべく隣人を愛せ(よき仲間たれ)    
      2、我々ポテトを愛すれば、人となる(人間性を復権しよう)
      3、我々の友は、ポテトなり(自然と共存しよう)
 都会では忘れてしまいそうな、ふれあいと安らぎを、ポテト共和国で。ポテト共和国では、お客様とニセコのより良い出会いを提供していきたいと思います。
                                              

大統領通達
 今ここに明かす、この国家機密。ポテト共和国建国にまつわるドラマをもってパスポートの幕開けとする。
 
1984年2月17日ポテト共和国 建国式
 その昔、天上にポテト大王あり。蝦夷富士の頂に降りて命を伝えたり。『アンヌプリの女神よ、そなたの地に民が集まり、イモを戴き国をなす。されば、守れ!この民を。 与えよ!そなたの加護を。』
 このご神託により、何年か前のポテト元年、ポテト共和国は、おごそかに建国され、以来、悲しめる人も、悪い人もいなくなり、みんな優しい人になったそうな。
 そして訪れるお客様も、ここに泊まれば泊まるほど、良い人間になっていくという言い伝えも急にできたとか・・・。
 この国の資源は、あたたかい心。ポテト共和国とは、訪れる人の心をつなぐ、ふれあいの共和国です。
 豊かな自然のもと、心は安らぎ、やさしさを取り戻します。 
 こんな心と心の善意も出会いを祈って、このパスポートを発行いたします。
 このパスポートの効力は笑顔。土の香りのする、ホクホクとしたポテト達をご賞味下さい。



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空気 天使のようにさわやかに
 白馬のようにかろやかに
 あくまで黒く星が降ってきたそう
 牛のクソみたいにあたたかく、くさい
約束 忘れっぽいが、人柄から憎めない
時間 夜は酒が入るので、2時間ほど伸び、朝は寝ぼけて、1時間ほど遅れる
食いもの 動物的なカンでおいしいものに集まり、他人のものは、みんなで食べるグルマンぞろい
ファッション たんすをかき回し時代をコーディネート
どろぼう カギは用を足さず、どっかが開いている。車なんかロックしたことない
人口 人間72名、犬4匹、うさぎ2匹
動物 キタギツネがはびこって、犬と友人になった           
情報 新聞は遅いし、電波も弱いので、いつも遅れる
 世の中にうとい人がそろっているが取材が来た時は、エキサイト!何でもやってしまう
金もうけ キャンセルには、なりふりかまわず、でも金銭欲はなく、脱落サラリーマンぞろい?
     ○ビになじむ
国境 国境はなく、これに関する紛争は永久におこらない
 住民の心を結んで国境を、行政面積は∞(無限大)。    美しいね!!
女性 山に居るからそう思うのか、どの夫人もとても綺麗だ
 その為なかなか嫁をもらえない独身オーナーが居る
 決して奥さんを連れてこない自称独身オーナーが居る                  〜という不幸もある
国技 冬は除雪、
       夏は原野開墾庭づくり

1986
ニセコってどういう所か知ってるかい?人口4千人ほどの、ちっさい町で、本屋なんかもない、
夕刊も翌朝、朝刊が、昼前に来る。
特急・急行も、はしってない、日曜に、開いてる店がない、10年前の信州みたいなもんだ。
町には、喫茶店は、ないし、足の便もすごっく不便、本当に農業地帯

でも僕らにとって、『ニ・セ・コ』この3文字は、巨大な磁石。
僕らの心に、強力な引力をはなっている、

スキーヤーに、運命的な出会いを与える、12月から、5月までの6ヶ月間、
それからの6ヶ月、大地の活動の時期、自然の逞しさと変化のスリリングに眩しさ、100%

『ニ・セ・コ』は夢であり、希望を与えてくれ、気分が、うかれてくる場所だ。
ニセコの山の中で、自然と向き合い、本当の自分に還って行く。


1987

 北海道は、確かにアイランド。ニセコアンヌプリ頂上からのパノラマは、光る日本海からかすむ太平洋(内浦湾)へとアイランドの頚推部を横断してしまいます。
 こうして居ると世の中最高にハイ、神様の気持ちもこんなものかな?
羊蹄山の向こうに湖面をのぞかせている洞爺湖も、春霞に柔らかい日差しを映しています。
 残雪を辿って山麓まで、一気にダウンヒル。
 
 きのうペンションで知り合った彼に、サンザンしごかれて登ったけれど、行ってみて良かった。
 彼との出会いは、この4月のペンションで。
 
  7月に彼と2度目のニセコ。深呼吸するにふさわしい空気の中に、眩しい緑、群生する野の花が語りかける言葉に、澄んだ目で自然のうつろいを見つめます。
  沼めぐりのハイキングとテニスに時間を忘れ、ペンションのテラスで流れ星を教えた夜・・・白いイモの花が朝陽に可憐で、畑の畝の中で記念写真を撮ったっけ。こんな日が続くものならと祈ったニセコへの小さな旅。
  
 そして10月のニセコが最後だった。「出会いと同じく、別れもニセコ」という約束通りに・・・あれほど青かった空の色は忘れることはないだろう。紅葉の美しさと同じくすべては散っていく。あの時、ニセコには来るまいと心に思った。ニセコの風物のすべてが心を騒がせるだろうから。

 でも、この冬、またアンヌプリのペンションに来てしまった。
街で疲れて心が失速しかけるとなぜか、ここに来てしまう。
  玄関のドアーを開けると料理の香りが漂い、いつものオーナーがにっこりと笑って迎えてくれた。「今日はお一人かい?・・・懐かしい顔ぶれが揃っているから今夜はハッピーにやろうよ。」 顔見知りのお客さんも気軽に声をかけてくれた。
  BGMには、昨年の思い出の曲。笑う人、話し込むカップル、スキーをつまみに酒をあおる人々・・・、そしてオーナーの炉辺談議が始まるのも、いつものようにゆれ動く炎に心が繋がっていく時、善意で付き合える人との出会いが心を広げ、その日を豊かにしてくれるのを感じました。
この素朴なやさしさは、ポテトそのもの。
                すばらしい環境には良い出会いが生まれ、素敵な人々が集まってくる。
                     ニセコこそ、とっておきのリゾート。
              ここには、私を励ましてくれる人々がいて、私を満たしてくれる自然がある。

1988
最初にニセコに来たのは、もう10年も前になるだろうか?
小さい時から“スキーパラダイス”という感じで、まるで別世界に対する様な憧れをもっていたから、
最初の印象は強烈でした。
アンヌプリの一番上のリフトからニセコ高原を一望して、羊蹄山の脇に、まるで池みたいな洞爺湖を見つけたときは、感動のあまりバンザイしたのを覚えている。
 
 それから何十回のニセコ通い・・・思い出のシーンには、必ずニセコが登場する。
  窓から新雪の中に飛び込んだ、クリスマス・イブ、年越しみこしで雪の中を練り歩いた大晦日、
 吹雪の中、キーフ・クルージングで温泉ツアー、夜が更けるごとに盛り上がった炉辺談義、
 ボブスレー大会と、かまくらの夕べ、
 初春の森へクロスカントリースキー、
 ロッジ&ペンション対抗の雪上運動会、
 夏の夜のファイヤー・ストーム&ライブ・コンサートなど・・・
 良い思い出はより楽しく、悲しい思い出も何故か美しく、四季を追った情景の中で、焼きついている。
 
 私にとってのニセコとは、街には無い、すがすがしい香りの空気があるところ、白い雪と鮮やかな緑が感動を呼ぶ場所、大切な人との時間、生涯忘れられない心の繋がりを与えてくれたところ、自然の中に人の生活が息づいている土地。私が街で忘れかけていた、大切な感動を思い出させてくれる。
 
 アルバムの中で、ニセコの写真は、一番賑やかだ。ページを捲るごとに星の青さは一層青く、どんよりした雲でさえも幻想的に思えてくる。想いはふくらんで馬場灯の様に浮かび、どの人の顔も屈託のなくイキイキして最高の顔をしている。
 
ニセコで時を過ごす事は、自分に近づくこと。閉じかかった自分を解放する事の様な気がする。
                  
    すばらしい土地は、人を自由に近づけてくれる。
 ニセコよ、ありがとう。白樺の森の宿よありがとう。
ニセコこそ、とっておきのリゾート。ここでの1日1日が私の中で輝いている。


1989
 暖かい快晴が続きます。
 アンヌプリの白い稜線も黒い山肌を覗かせ、沢では幾筋もの雪崩の跡が数えられる4月半ばのニセコです。今年の冬は、友人達、職場の方々と、またご家族でと、たびたびご利用いただきありがとうございました。
 送っていただいた写真を見せていただきました。
 日本海をバックに晴天のアンヌプリ頂上で、雪中露天風呂、冬の雪中花火大会と賑やかなものですね。アルバムに入れ、ほかのお客様にもPRします。
 なんといっても、自然にとび込むスキーツアーは、冬のニセコの醍醐味です。
 先日、クロスカントリースキーで森の中を散歩しました。
 雪解けのせいで、沢の音が大きく、この前通れた小沢も口を開け、日当たりの良い川床では黄色のヤチブキの蕾が春の到来を告げていました。
 日ごとに春が駆けあがってきます。

 道の土手沿いフキノトウも味噌汁に入れたり、天ぷらにしたりして春の香りを楽しみました。
 昨年遅れた、丘一面のカタクリの花の群生も、今年は大分早まりそうです。あの丘の手前に、紫のエンゴサクの群生と、可憐な白いニリンソウが咲くんですよ。
 一年の始まりの春、太陽が大地に放たれ、生命が動き出しています。

 ニセコは自然を相手に遊べるネイチャー・リゾート。
 山菜とり、高山植物のお花畑、カヌー、山歩き、フィッシング、木の実とり、きのことり・・・など、

            春夏秋冬のニセコの四季のうつろいを暮らしに取り込んでください。
           きっと自然がもつ不思議な力が都会人を、はぐくんでくれることでしょう。
                  皆様のお越しをお待ちしております。

1990
 あの時の2人は青春真只中だった。
ニセコに来て、このテーブルに座れば、スローモーションの様に、あの情景を思い返すことができる。
 あなたは、第一リフトの下をウェーデルン、私は、ゲレンデの拡声機だってバカにされたの。
もとを返せば、その日、私がリフトから落ちたのが運のつき。
 ディナーの時に、オーナーにからかわれて、あなたと話し始めたのが、はじまりでした。

   白い冬・・・すべてが新鮮で、はずんでいた。
   スキーをラケットに換え、夏には週末のニセコ通い。
   四季を追っての田舎暮らしに心がなごんだ。今では、なつかしいあの頃のふたり・・・
   積丹の岬から、日本海の日没を眺め、無垢な気持ちを認め合ったのは秋だった。
 
 この宿とも、それから何年もの家族付き合い。時を追って世相は変わり、人のニーズも変わっていく。
       ニセコもかつてあったニセコから、リゾートとしてのニセコへと変身中だ。
 
 私達は、あれから年をとった分だけ静かにニセコと接することができる。
 ニセコの繋がりの年輪は、枝葉を作って私たちの生活の源につながっている。
 あの頃、お互いに輝いて、引かれあった時、生きたニセコの雰囲気に単なるノスタルジーを感じているだけではない。  今でも心がくすんでくると、ニセコの力に引きつけられて、ニセコの友人達の暮らしぶりが心に浮かぶ。
 
     ドアーを開けると、いつもの温かく迎えてくれるこの宿では、生活と人生を話題にするといい。
      このテーブルで、なつかしい昔話にワインが空き、夢を語っては、グラスの氷を融かしていく。

1991
 ニセコっていう町を知ってっかい?北海道で、一番くびれたところにあって、山さ登れば、右に太平洋、左に日本海。いうなれば、北海道の喉仏だべさ。知ってるっしょ!
 冬には、しょっぱい河を渡る湿った風が、山に当たって、たっぷりの雪を降らす。北海道で、一番の豪雪地帯だべさ。
 したから、雪との付き合いもプロフェッショナル。一年通して九月から五月まで、びっしりと、深いつきあいさ。
    九月の初冠雪、十月の初雪、十一月の根雪、十二月の粉雪、(正真    正銘ここだけでねえの、ホワイト・クリスマスは)、一月の猛吹雪、二    月の豪雪、三月の春雪、四月の堅雪、五月の残雪・・・雪にもいろい    ろあって。
 まだ白いもんが、降ってこねえと、なんか、あづましくねえ。
まあ、おっかさが、横に居らん様なもんだべさ。
 
 一、二月と、なりゃ〜、一晩のうちに三尺(1メートルくらい)サ越す,
 なまら雪が積もる日もあってさ・・・玄関開けるものダメ。
 二階から表に出て、 じょんば(スコップ)持って玄関戸の雪掻きさ〜。
車も大きな雪コブ、自分でしか解らんぐらいだべ。窓の外に袋つるしときゃ、自然冷蔵庫、
つららをもいできて、オンザ・ロックも面白い。
 雪中露天風呂で、タオルを回せば、凍って棒になるし、髪の毛も風吹けば、しばれてワヤよ。そのうち子供心に返って周りの雪の壁登って、そこらじゅう雪の中走り回るしねえ。
 風のない雪の晩なら、朝の樹氷が最高だべ。メルヘンの世界だ。厳しい分だけ、純にきれいだべさ〜ァ。
 お陽さんでも差せば、本当の白銀だ。

いいんでないかい、やっぱし厳しいけれど、面白いだべさ。
 季節の、いれ変わりがはっきりしてる分だけ、身も心も鍛えられる。

 こんだら うまいモン、俺たちだけで食ったら、もったいないベャ〜
街の、にーちゃん、ねーちゃんにも、食わしてヤ〜
  ナマラ、うまいベヤ〜!!
せっかくこっちさ来るんだら、最高の素性のイモをいっぱい食ってけばええんだべ〜。
 ニセコのイモは、鍛えられた筋金入りのイモだべさ〜。
うっそで、ないってさ〜、まあイモ好きなヤツなりゃ、縁があったと思って寄ってけばいっしょ〜。
   
 しばれる日や、吹雪く夜、または落ち込んだ時など、僕らは、イモの力
 を信づることができる。
   イモが伝える、ホクホクした温かさは、寒さや、辛さも忘れ、誰も明る
 い顔にしてくれる。このあったかさは、この風土に溢れる生命の力。
    良い風土には、旨いイモが育ち、良い人が集まる。

1992
 畑を横切り、ニセコの駅まで一日がかりで煙草を買いに出かけるのが、最高の散歩なんだと言ったのは誰だったのか?
 あぜ道を辿って森や丘を越え、高原を散歩すると、発見することが多過ぎて、想いは、時の枠組を越えていく。
 アン・シャーリーのキャベンディッシュや、ローラ・インガルスのプラム・クリークのように、どこにでもある素朴な、田舎の色合いが、どんな人の心も捕らえて放さないのかもしれません。
 波うつ大地にデザインされた、丘から丘へと続く畑の広がり、それを縫っていくリズミカルな道の格子模様、牧棚やサイロのある風景・・・
 その点景になってみませんか?
 夢中になって流した汗が、風にさわやかなとき、あなたのニセコを実感できることと思います。

1993
 今日は、恒例の、尻別川のカヌー下りの日である。歩テト共和国と、その仲間達、総勢30数名のメンバーは、その幕を切って落とすべく、豊国橋のほとりに集結。年に1度のこの時を迎え嫌が応でも、皆の意気はあがる。まず航海の無事を祈ってシャンペンで高らかに乾杯が行われた。なかには、鉛の舳先を、酒で、清めたりしている者もいる。
 いざ出発!!
 この日の為に造船された美しい木目のカヌーも次々と進水してゆく。
中には、重量オーバーで、すでに沈没寸前のカヌー、また早くも岩に追突して、船骨を折ったカヌーがでてたりしたが、なんのその、あっちこっちで歓声があがっている。
 この歓声の訳というのも、手づくりにもかかわらず、カヌーが沈まなかったからだ。
 乗る方も、無事を祈らずにはいられない子供を乗せたファミリー艇、「あっちこっち」「お前が俺が」の怒声が飛び交う自己中心クルー、恋人に帰ったように2人の世界の夫婦ペアーといろいろだ。
 
 道南の一級河川、尻別川のゆったりとした緑の流れにカヌーに漂よい歓声は遠くまで響いていく。ここから日本海の河口まで4〜6時間、下ること20kmあまり。
 カヌーは浮かべた時から気持ちは、河の世界へと入っていく。それはいつもの尻別川とは、違っている。河の中からの出会いや発見は、すべてが新鮮だ。
 
 河の真ん中で、寝転がった時わかる、河の広さ、空の大きさ、山の量感・・・
 水面に踊る、大物は、ニジマスかサクラマス、まさかイトウでは!と素人釣師の胸は躍る・・・
 放牧する赤牛の群れに囲まれてあわてて岸から離れる・・・
 蛇行する河には、何ヶ所かの瀬もあり気を許せない。しかしチン(沈没)がなければ楽しさも半減というもの。
 期待に応えてチンするカヌーに喝采がある。
 橋を渡る人を見上げて挨拶するのも楽しみのひとつだ。
  
  河口に近づく頃には、夏の日差しに黒々日焼けして、誰もがいっぱしのカヌーイストになっている。
 100年前には、船が住きかう交通路であたこの河だが、両岸に続く森に守られて、今も静かに自然の路を守っている。尻別川の川下りは、ウェルダネスへの旅、ニセコで、かつてあった様に自然が残る、数少ないところである。

1994
ニセコの春は、2月末から始まります。1月・2月と、あれほど吹雪いていたのが、晴天が、2日・3日…と続きだす。
スキーヤーも新雪エリアから、 尾根や沢をつないだオフ・ゲレンデに心を引かれていく。
 アンヌプリの頂上までは、ヒラフのリフト終点から15分ほど。 晴天の日には、斜面を続々と頂上まで登る人で、階段が出来ていく。
 厳しい天候が終わって、これから、5月の連休まで、陽気なスキーを楽しめるのが、この春スキーの醍醐味。
太陽光線にまぶしい白銀の樹林帯。春眠についているような、白い高原のランドスケープ。
心は、解放され、リズミカルなターンから、オフゲレンデの堅雪にジャンプターンの鋭いシュプールを刻み始める。

春の日差しが、雪面に照りつけると、アンヌプリの1000m台地で解けだした雪は、ヒラフスキー場と東山スキー場の間にある岩壁に集まり、これが滝になる。昼間の何時間か、気温が再び下がり、水が凍ってくるまで、雪解け水は、2〜300mの滝となる  ーアンヌプリ春の滝ー

まさにニセコが、一番、魅力的に思える時期。
お客さんが、一日で顔を真っ黒にしてしまい、女の子が、帰りまぎわに「まだ帰りたくない!」と泣き出すのもこの時期だ。
1000m台地では、晴れた日には、Tシャツ姿で、雲を足もとにに見ながら日光浴を楽しんでる。

厳冬期には、早かった日没も、ずっと遅く、ナイターが始まってもまだ夕焼けが楽しめる。
夕焼けは、好転のきざし。明日の予定を練りながら、ペンションへの帰路につく。
 
        春の雪山は、わけいってくる者を、扉を大きく開いて迎えてくれる。
       ニセコの、たよやかな峰々は、雪を愛する人々にとって、聖なる山である。
    この山々に感謝するように、ペンションでは、夜な夜なスキー談議と、ニセコ賛歌が繰り返される。 
                     シーハイル  ニセコ!!