僕らの遠い先祖から見れば、今の社会というのは、想像もつかないほど、豊かな社会だと思う。
でも僕たちは、考える。豊かさって本当にこんなもんだろうかって。
人はよくこう言ったりする。「やりがい」「いきがい」っていうのが、有るようで無いようで、どうも、この世の中、ハッキリしない。
僕らが生まれて、このかた何十年かの内に、1回は、少なくとも、“ジーン”ときた感覚があるはずだと思う。それは、1回ぽっきりかもしれないし、何回もあるヤツかもしれないけど。
ある時、不意にやってきて身体全体に広がっていく
「これなんだ!!俺が思っていたのは!!」という駆けめぐるエクスタシーを感じたことは、誰にでもあると、思うんだよ。
世の中、複雑で、難しくって、誰もがままならない。自分の思うようには生きられない。人生のグレート・マスターたちは、「幸福っていうのは、結構身近に君の足下に転がってる。」て、繰り返し言ったりする。
でも僕らは、それが、今居る立場でみんなとうまくやっていき、自分も満足するといった事だとは思わない。
可能性のある限り自分の内なる声“オイッこれなんだよ!!”というジーン感覚に頼ろうと思う。この声を大切にする限り、素直に手探りで歩いていく限り、幸福っていうものは近寄ってくるんだと想像する。なぜならその行為が他社への誠意を持って行われる限り、正真正銘の自分を生きることだと思うからだ。
僕自身の二十年かの人生経験をもって、こう言うのは何だけど、たぶん豊かに生きる、ハリのある人生を送るっていうのは、僕に限れば“健やかに”かつ“厳粛”に生きることだと思うんだ。
これは正しくいえてないと思うが、でも間違ってもない信条みたいに思っている。
僕らは都会で育った。でも、都会を離れた。
それは、もっと“健やかに”かつ“厳粛”に生きようと思ったからだ。
もともと人間っていうのは生き物だ。ただ毛皮も破らず、四本足でもなく、草・木でもないけれど、でも牛や馬と同じく喰っては出す、同じ生態系のメンバーだ。
ならばそいつらを支配するんではなく共存したい。
そして、もっと深く自分の「生」というものを見つめていきたい。
すべて落日に向かい歩く人生を、投げやりでも、割り切りでも、自己満足でもなく膨らませていきたい。
僕らなりの豊かさを求めて−こういう訳で僕らはここニセコの地に腰をすえようと思った。
そしてある日、君に呼びかけたい。
発信:from “Milky House” in Niseko
Highland.
“気楽にやってるぜ”って人は言うけれど、まんざら気を抜いたもんでもないんだぜ。
君が忘れたものを教えてあげよう。
僕らに声をかけてくれた君の心の呼びかけと語り合おう。
僕らも豊かさを追っかける。でもそのかけ声は気楽やろうだ。
Take it easy
誰だって時の流れに押し流されてると感じている。
仕方がないさと、流れに身をゆだねている、自分を知っている。
Take it Easy−気楽にやろう−なんて言葉は、流れに身をまかすことだと思っている人もいる。
が、Take it Easy を、流れから飛び出すかけ声にしている人もいる。
あなたは?
1978年.MilkyHouse 設立の主旨より